日に新た

 いつかテレビで、絵画の模写にはその作品の持つ揺らぎの写しが一番難しいポイントであると美術家が言っていたのを聞いたことがあります。作品の特徴的な面白さや価値はその揺らぎが決めているようです。模写はその揺らぎを写す作業と言ってもよいのだそうです。その番組を見ていて、私も能面の写しについて同じ感覚を覚えました。

以前のブログでも、能面の彫刻にしても彩色にしても「ゆらぎ」がとても重要であることを書きました。どちらの「ゆらぎ」も無意有意を問わず、作品の無限の広さと深みを醸し出しています。

絵画でもそうですが、「ゆらぎ」がある能面は何回見ても、いつ見ても飽きることはありません。見る人のその時の心の状態次第でどのようにも見えてきます。見る度に新しい発見があります。

 能面の作者としての面白みは、この「ゆらぎ」を写す古面(またはモデルとなるオモテ)から探し出すこと、その「ゆらぎ」をどの様に写してゆくかを悩み、作法を見つけることにあると思います。それらを作品に注ぎ込み、能面の無限の広さと深みを眺める時々に見つけることが何にも変えられない楽しみとなります。

もし、日を置いて眺めた時何も見つけることができなかったり、面白いなと感じられなかった場合は、「ゆらいでない」状態、例えば態とらしさや西洋的なフォーマットしか見つからない秩序しかない場合です。そんな時は、態と失敗に近い策動を施します。「ゆらぎ」を追加するのです。そして、また時間を置いて眺めます。こうしたことを繰り返すことが、私の写しの原点です。そして、日に日に出来上がってくる作品を見ることが作品を成長させる原動力となっています。「日に新た」の感覚で、作品に取り組んでいます。そして時を隔てても新しい発見があるような、そして見る人の内面を少し擽るような作品を目指しています。日々新たな気持ちで…。