能面打ちと旅

 私の旅に対するイメージは大体次の通りです。

身体の居所を変えながらこころを解き放ち遊ばせ、普段の刺激から離れ、今まで経験のない新しい刺激を求め、そしてこころに新しい栄養を与え、元の居場所に帰ってゆきます。

 最近この様な旅はとんとしていません。旅に出なくなったのは、確か本格的に能面を打ち始めてからかもしれません。なぜか旅に出たくなる欲求が起きないのです。こころが枯れるというか、こころが空っぽになるというか。そんな気持ちになることが余りなかった様な気がします。

  能面を本格的に打ち始めた頃は、木を削り彩色を施す日々が毎日の様に続きました。こころが空っぽになる時間など全くありませんでした。素晴らしい能面を写すことで、古(いにしえ)の作者のこころと己のこころを重ね合わせ、古の時代に遊ぶ経験をすることができました。古の時代に旅をする様なものです。そして写す能面が変わるごとに遊ぶ内容も、旅の方法も変わりました。こころに流入してくるエネルギーは、日々の生活で枯れてゆくこころを満たすには十分な量がありました。そして、余ったエネルギーは日常のストレスから身体を守ってくれるバリアにもなってくれた気がしています。

それに修行の様な間髪を入れない写しの行為は、こころそのものを良い方向に変質させて行った様です。人間に対する考え方、人との関わり方などストレスがかかった時のこころの置き方、すなわちこころの変え方を理解し実践できる様になったのです。

外から見ると修行の様な能面写しの行為は、この様にこころを遊ばす力を与えてくれました。別な言い方をすると、こころを柔らかにしておき、あらゆることを受け入れる技を身につけたと言えます。この様にこころを上手く動かし、こころを遊ばせながら生長させて行けるものは他に思い当たるものがありません。まるで遠い遥かな国々に旅している様です。

  私のもとから旅立ってゆく能面たちが、私に代わって次の人たちのこころに生きるエネルギーを与え、生きる栄養を届けることを思いながら、遥かな旅はまだまだ続きます。