能面との対話 ① 〜「能面」は自分を写す鏡である〜

「能面」を作ることで、余分な『自己』を取り除きながら得体の知れない『自分』を整理し、新たな『自分』を見つけ出してゆくことができます。

それは、「能面」という鏡を磨いてゆくようなものであると言ってもいいです。木の塊を徐々に削ってゆき、顔を出してゆく。曇った鏡を磨き、そこに映った自分の顔が次第にはっきりと見えてくる過程とよく似ています。そして、見えてくる自分の顔は今までの顔とは違って見えてきます。その違った顔とは何でしょうか。恐らく何一つフィルタの掛かっていない素(もと)の自分ではないでしょうか。「能面」を作ることは、このように余分な『自己』を取り除きながら、本来の『自分』を敷き詰め直してく、そして取り戻してゆく過程であるといってもいいでしょう。

『自分』を敷き詰めること、取り除くことは、技法、技術を必要としますが、それらに頼ることなく、こころの趣くままに「能面」と相対してゆけば、自然と鏡は磨かれてゆきます。

深い思索とよろこびが交互に訪れ、こころが螺旋状態に生き続けてゆきます。「能面」と対話することは、生きてきたことの足跡を残しながら、そして生きてゆくことへの餞(はなむけ)を自分に与えながら、『今』を生きることであると考えています。

私にとって、「能面」を作ることは、生きることの証しと同じであります。