こころと能面打ち(その2)

 能面の彫刻、直方体の木の塊から表情を彫り出す工程は、煩雑な生活の中で掻き乱れた気持ちを整理し本来の自分を見つけ出してゆく過程、こころを取り戻して行く過程とよく似ている様な気がします。

 実際、能面の彫刻に入る前は彫り出された表情がどの様になるのか、写す能面の表情の機微が写し取れるのか不安になり、ノミを入れるのに躊躇することもあります。不安はこの段階では非常に漠然としています。日常の様々な不安が混在している状態です。

ひとノミ、ふたノミと入れて行くうちに木の塊から表情が少しずつ現われ、不安も削がれて行きます。不安を纏った身体から一枚ずつ剥ぎ取って、裸の自分に戻ってゆく様にも思えます。そして最後のひとノミで大まかな表情が出た時、漠然とした不安はなくなり次の段階に進む勇気が出てきます。

ノミを叩いている時はその事に集中していて、外界からの刺激には意識が向いていません。

木の塊と自分自身がお互いに向き合っているだけです。その状態が漠然とした不安を取り除き易くし、気持ちを昇華させてくれます。同時に日常の諸々のこころの乱れも整理され、打ち終えた後、気持ちがスッキリした状態になります。木の塊も、打っている本人の気持ちも同時に一つ上の次元に上がった様な気がします。能面を打っていて有り難く感じる瞬間です。

 一方、普段の生活の中ではどうでしょうか。次のように不安に対処している自分がいます。まず漠然とした不安の正体を大まかに捉え、その原初を探ります。原因が自分のこころの中にある場合、こころの有り様に問題がある場合、物事の捉え方を変える試みをします。自分自身で変えることができない時は音楽を聞いたり、絵画を見たり、自然の中を歩いたりと五感を通して他の力を利用します。五感を自発的に活動させ、五感を通して外界の世界と自分のこころを融合させます。その後もう一度今までこころにあった不安を考えてみます。その不安が単なる事象と変化していることに気がつきます。すでにそれは不安ではありません。単なる過去の出来事になります。言うなれば、不安と同じレベルにいた自分自身が一つ上の段階に昇り、不安だった過去の事象を高みから見ているということです。自身のこころが昇華したとも言えます。

  能面を打つことは、この様なこころの変化のさせ方と非常に似ていて、こころの変化そのものを自分の力で行なっているものであるとも言えます。

昔の能面師の中にも現在の能面師の中にも長生きされている方が比較的多くおられます。能面を打つ時のこころの変化、この辺りに長生きの理由があるかもしれません。