こころと能面打ち

 こころの問題が取り沙汰されてから随分時間が経っています。そして、こころの病で悩まれている方がいまだに多くいます。

こころの病は現代特有の問題なのでしょうか。科学技術は進歩しても、人のこころは昔から大きく変化していないように思えます。ただ、人間を取り巻く環境が複雑化したため、表に出てきている問題が複雑になってきているだけのように思えます。

 私は能面を見て不思議に思うことがあります。能面の複雑な心像表現が現代の私たちにも分かるのかということです。能は人間が持つ悲哀、苦しみを主題にしており、能や能面が成立した頃の人々が持っていたこころの表象を現代の私たちも共有しているからこそ理解できるのではないでしょうか。

 能面を打つとき、木の塊と無言の会話をしていることに気づくことがあります。気持ちをフラットにして能面の声を聞いている自分に気づき、そして能面から伝わってくる思いが自分のこころのヒダと共鳴すると晴れやかな気持ちになってゆくことがよくあります。まるで静かな個室でカウセリングを受けている様です。それに能面を打っていてこの感覚があると何故か能面の出来は良いのです。こころの深いところで能面と繋がることによって雑念が消え本来の自分(真面目:しんめんもく)が現れるということでしょうか。違う言い方をすると、能面を打つこと(写すこと)は、余分な感覚を削ぎ落として本来の己を取り戻し、幽玄の世界に魂を昇華させ、自他の区別のない世界にあそぶような感覚、そして能面を通して古(いにしえ)の人たちと繋がる感覚も与えてくれるのではないでしょうか。そして、今の複雑怪奇な世の中で自分を見失わないための道標なのかもしれません。

 この様に能面を打つことは人のこころと深く関わっていると思います。そして、こころの問題を内面から和らげる力があると信じています。能面を見る人たちが元気になり、能面を打つ人たちが健康になる、そんな面打ちの環境ができればと考えています。