点と面、写しについて

 能面は本面の写しを良しとすると言われています。では、写すとはどういうことでしょうか。彫刻では単に数値的に写すこと、彩色では同じ色つやを付けることでしょうか。

 本面の重厚な力強さ、たおやかな美しさはどのように出来上がったのでしょうか。その道程を想像したとき、本来の写しとはどういうものか分かってくるような気がします。

有限の点と点だけでは無限の点からなる面は表現できません。しかし、能面を作るときは

有限の点を目安に点と点の間の動きを写してゆきます。有限の点の集まりから近似的に形を作り出してゆきます。そこに写しの本質が見える気がします。本面の作者の考え方、思いを近似してゆくのが写しではないでしょうか。ただ数値では表現しきれない形を見出し、表現してゆく。さらに形を近似してゆく揺らぎの中で自分なりの形を見つけ出すことが必要ではないでしょうか。もちろん、形に対するこだわりは前回の「緊張と弛緩」でも述べたように表情の動きの理屈をしっかり理解することが必要だと思います。

一方彩色はどうでしょうか。彩色は一様な点(色)の集まりではありません。様々な変化をともなう強弱のある色の集まりです。それらひとつ一つに意味が存在しています。本面の作者も彩色ひとつ一つに意味を与えそれらの総合体として幽玄を表現していると思います。彩色の写しは容易なことではありません。ひとつ一つの彩色の意味とその表現技法を読み取らなければならないからです。しかし、彩色も彫刻と同じく近似的にしか近寄ることはできません。揺らぎの中で自分なりの彩色技法を見つけるしかありません。

 このように写しは単なるコピーではないと思います。旧来の作者の思いを現代の作り手の思いと重ね合わせ、考えるべきところは考え、悩むところは悩み、未来につながる面を造り出し、それらを次の時代に繋げてゆくこと、これが能面をつくる者の義務ではないかと思っています。